選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は、今シーズン、アカデミーからトップ昇格を果たした市原吏音選手と種田陽選手に話を聞きました。
聞き手=戸塚 啓
出会ったときのお互いの印象
──お二人が初めて会ったのは小学生年代だとお聞きしました。
市原「自分が先にジュニアに入ったんですけど、何人か陽の知り合いがいて、『すごい奴が入ってくる』と聞いていました」
種田「吏音の一つ後のセレクションに受かってジュニアに入ったときに、“リオン”という名前なので外国人なのかなと思ったんですね。そしたら普通に日本人なので、あれっと(笑)。ジュニアのころからヘディングが強かったよね。セットプレーでは大体点取ってた。ふわっとしたボールを上げれば、決めてくれる感じだった」
市原「確かに。最近取れてないわ~。陽はずっと変わらないね。技術があって、ドリブルでいける」
種田「吏音も昔から能力高いでしょ。足だけは遅いけど(笑)」
市原「いやいや、メチャメチャ速いから(笑)」
──ジュニア、U15とともにプレーしてきて、印象に残っている試合はありますか?
市原「陽はずっとエリートだったから、トレセンとかに呼ばれることが多くて、一緒に練習できないことも多かった気がする……二人とも出た試合で思い出すのは、小6の全日本少年サッカー大会の準決勝だね」
種田「あれね」
市原「コンサドーレ札幌が相手で、オレも陽も何もできなかったよね。相手は大きい選手もいて、強くて速かったけど、壁を感じたな」
種田「スコアは0-1だったんだけど、自分が得意なドリブルがまったく通用しなくて。ホント何もできなかった」
U18時代、それぞれの思い
──昨年のU18では市原選手がキャプテンを務め、種田選手は10番を背負いました。
市原「自分は7月からトップチームに呼ばれたんですが、それでクラブユース選手権の出場を諦めました。自分たちの代なのでクラブユースに出たい、優勝したいっていう気持ちはすごくあったんですが、トップで試合に出始めたばかりのタイミングだったので、U18の監督ともトップの監督とも話をして、自分で決断をしました」
種田「自分もできればトップに行きたかったし、そういう可能性もあったんだけど、U18がプレミアリーグで苦しんでいたから、原さん(原博実フットボール本部長)やU18のスタッフと話をして、自分はプレミアリーグに出ることになりました。スタッフからは『吏音もいないし、お前が一番違いを作らないといけない』と言われてたんだけど、試合を重ねるごとに相手チームに分析されたみたいで。対戦相手の知り合いに聞くと、自分のマークに2枚つくとかいうこともあって。それでも自分がやらなきゃいけないと思って、何とかプレミアリーグに残留できた。最低限の仕事はできました」
市原「トップの全日程が終わったあとのラスト2試合は出たけど、『やってやるぞ』という気持ちが強すぎると空回りしちゃうかもしれないので、あまり入れ込み過ぎないように気をつけました。プレミアリーグファイナルの出場を争っていないし、プリンスリーグへの降格もない、というような順位だったら出てなかったかもしれないけど、最後まで残留がかかっていましたから。先輩たちが残してくれた舞台だし、後輩たちにもプレミアで戦ってもらいたいから、必ず残すという気持ちはすごくありました」
──サッカーを離れたお互いの印象は?
市原「しっかりしてるように見えますけど、意外とマイペースというか、ちょっと時間にルーズというか(笑)。朝はめっちゃ寝てますし」
種田「吏音はよくしゃべる。というか、うるさいですね(笑)。高校でもうるさいですし。クラスがとなりだったんですけど、吏音の声が聞こえてきますから。ああまたアイツしゃべってるって、いつも思ってました」
芽生え始めたプロとしての自覚
──ジュニアからずっとアルディージャに関わってきて、2024年から二人そろってトップの一員となりました。
市原「自分がジュニアに入ったときはJ1だったので、J3にいるのは率直に悔しいです。小学生のころは考えられなかったですし、1年で上がらなきゃいけない。自分や陽がトップで結果を出すことが、お世話になったアカデミーのスタッフの方々への恩返しにもなります。リーグ戦の開幕前に大宮駅の商店街へあいさつ回りに行ったとき、たくさんの人たちに応援してもらっていることをあらためて実感できました。そういう人たちにも、結果で恩返しをしたいです」
種田「自分もサッカー人生のほとんどをアルディージャで過ごして、仁くん(泉澤仁)とかが試合に出ていてJ1で上位に食い込んだシーズンを覚えています。アルディージャは育成に力を入れていて、自分たちが結果を出せばクラブの育成もより評価されるので、自分たちがやっていかなきゃいけない、何とかしなきゃいけない、という気持ちはすごくあります」
──プロ選手になったんだな、と実感する場面はありますか?
市原「高校へ行かないことですかね。通学しなくなって自分の時間が増えましたし、午前中に練習して午後はフリーという生活も増えてくると思うので、そうなったらプロになったというのをはっきりと感じるのかな、と。去年は練習後に学校へ行くのがしんどかったけど、学校へ行って友だちと話したりすることが気分転換になっていた。体が楽になるけど、ちょっと寂しさもありますね」
種田「一番感じるのは環境ですね。U18ももちろん環境は整っていましたけど、トップはさらに良くて。クラブハウスとかはJ1のクラブと比べても良いほうだと聞くので、それはあらためてすばらしいと思いました」
自ら選択した未来への覚悟
──種田選手はアメリカの新学期に合わせて現地の大学への進学も考えている、と聞いています。
種田「もともとは日本の大学へ進学するか、トップチームへ昇格したいという選択肢だったんですが、知人からアメリカの大学がいいと聞いて、去年の夏に一週間ほどトライアウトみたいな感じで行きました。自分自身もすごく調子が良くて、その結果いろいろな大学からオファーをもらうことができました。環境もすごくかなり良くて、ヨーロッパの有名なクラブがキャンプで使ったりするそうです。なおかつ英語を学べることも考えて、アメリカの大学進学も考えるようになりました」
──市原選手も本当にたくさんの選択肢があった中で、トップチーム昇格を選択しました。
市原「そうですね、かなり悩みました。いろいろな人に相談をしましたが、やっぱりクラブに恩返しをせずには出ていけない、という気持ちがありました。それに、CBは試合に出てナンボだと思いますし、途中出場もなかなかないポジションなので、やっぱり試合に出られる可能性の高い環境がいいと考えました。代表も試合に出ていないと呼ばれないでしょうし、この選択がベストだと思っています。あと半年後とかに、この選択が良かったと言えるように頑張るだけです」
──今年は副キャプテンに指名されました。
市原「ひそかにキャプテンを狙ってたんですが(笑)、どんな立場でもやることは変わらないですし、まずは試合に出てチームを勝たせることが一番です。ファン・サポーターのみなさんもJ2に上がらないと納得してくれないでしょうし、優勝以外は許してもらえないと思うんです。自分たち選手も、1位になることしか考えていません」
種田「プレシーズンにちょっと体調を崩してしまってこともあって、自分はもうちょっとチームに慣れる時間が必要です。自分の特長を知ってもらうためにも、コミュニケーションをどんどん取っていく。先のことは考えずに、まずは結果を残したい。チームの勝利に少しでも貢献できるように、日々努力していきたいと思っています」
戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。