【ライターコラム「春夏秋橙」】「優勝でのJ2復帰」という簡単ではないノルマを達成できた理由

ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は、オフィシャルライターの戸塚啓さんに、J3優勝を達成したここまでの戦いを総括してもらいました。

【ライターコラム「春夏秋橙」】戸塚 啓
「優勝でのJ2復帰」という
簡単ではないノルマを達成できた理由


正直に告白する。

シーズン開幕前の僕は、「J3だから勝って当然」という気持ちにとらわれていた。「J3優勝でのJ2昇格」というチームの目標を、当然のノルマとして受け止めていた。

トップチームを取り巻く環境やクラブとしての規模を考えれば、大宮はJ3のクラブではない。これは僕個人だけでなく、客観的な意見と言っていいだろう。

では、大宮にとってのJ3は戦いやすいリーグだったのか。

否、そんなことはない。

シーズン開幕から順調に勝点を積み上げ、第8節から首位を快走したチームは、対戦相手がモチベーションをかき立てる存在だ。どのチームも、どの選手も、「大宮を食ってやろう」という気持ちで臨んでくる。

大宮のホームゲームでも、対戦相手は闘志を燃やす。歴史と伝統を備えたサッカー専用スタジアムでプレーできる充実感は、大宮の選手たちに限ったものではない。J3では明らかに別格な臨場感や空気感が、対戦相手の選手たちをも躍動させるのだ。

J1でもJ2でも、気の抜ける試合はない。公式戦はすべて難しい。その上で言うのなら、「J3優勝」と「J2昇格」というミッションを達成するためにホーム、アウェイを問わずに対戦相手を上回るパワーを、それもシーズンを通して高出力のパワーを出し続けるのは、相当にタフな作業である。周囲から「勝って当然」と思われる試合は、どんなカテゴリーでも難しいものだ。

そうやって勝点を積み上げた先に、J3優勝による1年でのJ2復帰がある。「試合より練習のほうが激しい」と話す選手がいるように、ここ数年のクラブに欠けていた緊張感をトレーニングのピッチに作り出し、それを日常とした長澤徹監督とスタッフは、どれほどのハードワークをしたのだろう。準備と改善のために恐ろしいほどの時間が費やされ、質の高いトレーニングが実現したのは間違いない。

二つのミッションを達成するために、日々の練習からクオリティや強度を追求していった選手たちのがんばりも、もちろん称えられるべきだ。

シーズン中盤以降はスタメンが固まり、控えメンバーも大幅な変更なく試合を消化していった。だからといって、試合に絡んでいない選手に物足りなさを覚えることはない。一人ひとりの選手が練習に注ぐ熱量にバラつきはなく、それが試合さながらの激しい攻防につながっていた。チームの在籍年数が長い富山貴光は、「当たり前のことを当たり前にやれる集団になった。ベースが上がった」と言う。

チーム全員が試合に出ることを目ざすから、ピッチに立つ選手は責任感を胸に宿す。「試合に出ていない選手のためにも、勝利をつかまなければならない」と思う。そうやって結果をつかむことで、チームの一体感は高まっていく。

勝利がもたらす喜びも、再確認できたはずだ。勝利の喜びに、カテゴリーは関係ない。勝つことでファン・サポーターとのつながりが深まり、それが次の試合へ向かうエネルギーとなる。そしてまた勝利をつかむことで、チーム全体に勢いが生まれ、劣勢を跳ねのける力が身についていく。勝者のメンタリティが、育まれていく。

最後にもう一つ告白すれば、「J3だから勝って当然」という気持ちは、もうずいぶん前からなくなっている。J3にはJ3なりの過酷さがある。J1やJ2で戦ったことのあるクラブでも、簡単には抜け出せない厳しさがある。

だから、まずは今シーズンの残り5試合に期待したいのだ。

「勝って当然」と思われるなかで結果を残したチームは、間違いなくタフになった。「達成感や解放感に浸ってもおかしくない」と思われるここからのシチュエーションに、彼らは奮い立っているはずだ。すでに大きなものを成し遂げたあとでも、選手たちは最後までエネルギーを振り絞るだろう。

それが、このチームのスタンダードなのだ。


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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